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「安心」への第一歩

投稿日:2018年2月9日

 

昔ながらの近所付き合いがなくなりつつあるともいわれる現代社会。一方では、それを補うかのように、私たちの生活を支える制度やサービスが充実してきています。しかし、身近なところに住む人同士の「つながり」なくして、本当に安心して生活を営むことができるのでしょうか。「共同体の一員としての姿勢」について、考えてみましょう。 

 

見知らぬ「隣人」たち?

人口が密集する地域に、次々と建てられていく集合住宅。そうした場所では、旧来の町内会等とは異なり、いわゆる「近所付き合い」がない共同体も生まれているようです。場合によっては、生活様式の違いなども手伝って「隣に住んでいる人とは、顔を合わせる機会もない」ということもあるのではないでしょうか。 

人は互いに支え合い、助け合い、共同体をつくって生活していくもの。しかし、昔であれば「住人同士の助け合い」によって解決してきた問題を、今では専門業者の手に委ねていることもあるでしょう。時代の変化に伴って、暮らしを支える制度やサービスにも新しいものが生まれ、近所付き合いをほとんどしなくても一応の生活はできるようになってきた面もあるのです。 

そうした中では「遠くの親類より近くの他人」とはいえない現状も生まれてきます。壁一枚、床一枚を隔てた空間で複数の家族が暮らす集合住宅に象徴されるように、物理的な距離は近くなっても、住人同士の「心の距離」は離れつつあるといえるのかもしれません。 

しかし「一家の生活が守られさえすればそれでよし」「家の外の面倒な人間関係はなるべく避ける」といった考え方で、果たして「安心な暮らし」は得られるのでしょうか。 

 

「共同体に生きる」とは

多くの人たちが集まれば、価値観の違いや利害の衝突なども起こり得ます。そのため、共同体には「そこで暮らす人たちが共通して守るべきルール」が存在します。しかし、実際の生活を考えると、その最低限のルールに従いさえすれば「安心な暮らし」が保障されるというものではないでしょう。そこには思いやりの心や、「お互いさま」と許し合い、譲り合い、調和する心が不可欠です。 

近所付き合いの中で起こるちょっとした衝突を「自分の安心な暮らしを脅かすもの」ととらえる固く狭い考えからは、抵抗感や警戒心などの「不安」しか生まれません。何より、共同体とは「すでにそこにあり、福利を与えてくれるもの」ではなく、そこで暮らす私たちがつくっていくものであることを忘れてはならないでしょう。一人ひとりのかかわり方によって、共同体のあり方は変わるのです。

 

「安心な暮らし」のために

近所付き合いとは、決して「個人を拘束するもの」ではありませんし、「安心な暮らし」のために必要なものは、「より厳格なルールをつくり、それを守らない人を罰すること」でもありません。周囲の人たちと調和し、温かい心を通わせ合ってこそ、安心で喜びの多い生活を送ることができるのではないでしょうか。 

人は誰でも「調和する心」と「思いやりの心」を持っています。共同体の形成に必要なこの二つの要素を、すでに私たちは持っているのです。また、能力ともいえるその心は、使えば使うほど伸びるものです。その能力をどのように伸ばしていくかが、皆の「安心な暮らし」が保障される共同体を築くための鍵となります。 

そのためには、まず、みずから積極的に周囲の人とかかわっていくことでしょう。隣人への朝夕の挨拶や声かけは第一歩といえます。その一歩があってこそ、互いに手を差し伸べ合える関係が築かれていくのではないでしょうか。 

安心して暮らしたい――そう願うのなら、まずは自分から「安心な共同体」を築くための身近な一歩を踏み出したいものです。

 (『ニューモラル』559号より) 

 

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