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「役に立つ」という喜び

投稿日:2018年1月26日

 

「他人や社会の役に立ちたい」「社会の中で自分の居場所を見つけたい」そうした思いから、ボランティア活動などに携わる人もいるでしょう。しかし「人の役に立ちたい」という純粋な思いを持って、みずから進んで始めた活動であっても、続けていくうちに疑問や不満が生じることもあるものです。そんなとき、どのような心の持ち方をすればよいのでしょうか。  

 

いわれのない叱責?

会社員のMさん(48歳)は昨年、隣に住む町内会長(68歳)から声をかけられて町内会の仕事を手伝うことになりました。

活動への参加は、月に一度の役員会に出席することから始まりました。当初は勝手が分からず、戸惑うこともありましたが、ほかの役員とも親しくなるにつれて、だんだん楽しくなってきました。 

また、書類配布のために町内を歩いて回ると、住民から「ありがとう」「いつもお世話さまです」と声をかけられることもあります。Mさんは「町の人たちの役に立っている」ということを実感し、これまでに感じたことのない充実感を味わっていました。 

ところがあるとき、町内会の運営に関することで、住民が苦情を言いに来た現場にたまたま居合わせたMさん。 

“相手の言い分ももっともなこと”とは思うものの、自分自身にとっては身に覚えのないことを強い口調で責め立てられると心穏やかではありません。役員の一人として謝りつつも、内心ではこう思うのでした。“こっちだって忙しい中、ボランティアでやっているのに……”

 

心の底にある気持ちは?

こんな出来事をきっかけに、それまで楽しく取り組んでいた活動さえ面倒に思えてくることは、あるものです。また、有志によるボランティアとはいえ、一生懸命になればなるほど協力的ではない人たちが腹立たしく思えてくることもあるでしょう。 

しかし、そんな自分の心を見つめてみると“人からよく思われたい”とか“これだけやっているのだから、感謝されて当然だ”といった思いがあるのかもしれません。 

「よいこと」をしていても、心の中が不満でいっぱいでは、苦しいものです。「言うは易く、行うは難し」という言葉がありますが、本当に難しいのは、物事を行う際の「心づかい」なのかもしれません。 

 

「よい心」で「よいこと」を

「他人や社会の役に立ちたい」という思いから社会貢献に取り組むのは、尊いことです。しかし活動を続けるうちに、周囲の評価を求めたり、手伝おうとしない人を責めたりする気持ちが湧き起こることもあるのではないでしょうか。 

そうしたときは「人の役に立つ」ということ自体が私たちの心に与えてくれる喜びを、あらためて見つめ直したいものです。 

人は「誰かの役に立っている」ということを実感したとき、生きがいを感じます。それは「周囲とのふれあいを喜ぶ気持ち」から生まれるものでしょう。また、みずから人のために働くことを経験してこそ「見えないところで人や社会を支える“誰か”の力」に気づく力が養われるのではないでしょうか。 

純粋な「よい心」で、「よいこと」を気持ちよく――その実践が、私たちを人間的に大きく成長させてくれるのです。 

(『ニューモラル』561号より)

 

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